「ではヒュンケル様思いっきりお願いします。」
先程人を蹴り上げたとは思えないほど顔色一つ変えずにきっぱり言い切る侍女だったが、ヒュンケルの顔色は暗い。
「蹴り上げろと言われてもだな…」
戦士であるヒュンケルが思いっきり蹴りをいれようものなら、軽く仰天してしまうのが目に見えている。
「そんな事は流石にできない…」
「駄目です。これもお話をお受けする条件にございます!」
「しかし……」
その話を出されてはヒュンケルに拒否権はないのだが、それでもやはり人を蹴る事に躊躇いを感じる。
それがたとえあんな男達だとしても・・・
だがそんなヒュンケルの気持ちなど知らない大臣達は、さっきよりも更に興奮しきった様子でヒュンケルに近付いてくる。
(うっ…う…うぅ………)
じりじりと自分との距離を詰めてくる大臣。
少しでもこの恐怖から逃れるため後ろへと下がりたいのだが、そんな事を侍女が許してくれるはずもなく、だがゆっくりとだが確実に自分との距離を詰めてくる大臣達に、ヒュンケルはいよいよ決断の時を迫られていた。
そして・・・・・・
(…うぅ……えぇい!ままよ!!)
ドガッ!!!!
追い込まれたヒュンケルはとうとう一番近くにいた大臣を蹴り上げてしまった。
勿論極力力は抑えて蹴ったのだが、蹴られた大臣は部屋の隅まで吹っ飛んでしまい、壁に激突するとどさりと落ちて動かなくなってしまった。
「し、しまった…!」
最小限の力で蹴ったというのに、まさかあれほど吹っ飛んだ上に壁にまで激突するとは思わなかったヒュンケルは、まさかの事態に一気に血の気が引いた。
「だ、大丈夫ですか?!しっかりしてください!」
急いで大臣へと駆け寄り抱き起こすヒュンケルに、侍女が後ろの方で「触れてはいけません!」と言っているが、そんなの無視だ。
「しっかりしてください!」
腕の中でぐったりとしている大臣に、必死で声をかけるものの反応が無い。
ただ衝撃によって気絶しているだけならまだいいのだが、もしかして激突の際に頭などを強く打ってしまったかもしれない。
(…それはまずい…一体どうすれば…)
最悪の事態を想像し冷たい汗が頬を伝うヒュンケルだったが、ふと抱き起こした大臣の顔が、妙に赤く、気味が悪いほど恍惚としている事に気がついた。
(…なんだこの顔は…?!)
その顔を見たヒュンケルの口端がひくりと上がる。
まるでこの世の春を謳歌しているかの如く蕩けきった表情の大臣は、だらしなく口を開き、その端からは熱い吐息と共に涎が垂れている。
そんな大臣の姿は見ている方が気分が悪くなるほど不気味だった…。
(……う、打ち所でも悪かったのだろうか……)
そんな大臣の姿に本気で心配し始めたヒュンケルだったが、次の瞬間、突然大臣の容態が大きく変わった!
「…ん……あぁ…ん…あぁん!!」
「だ、大臣!?」
突如びくびくと痙攣し始めたかと思うと、急に甘ったるい声を上げた大臣に、ヒュンケルは一気に顔色を失った。
(や、やはり打ち所が悪かったのか……?!)
大臣の突然の行動と声に、先程まで不安に思っていた事が的中してしまったと思ったヒュンケルは、強く己の唇をぎりりと噛んだ。
いかに追い詰められていたからとはいえ、戦士である自分が一般人である人間を蹴り上げるなど、言語道断、戦士として最低の行為をしてしまったのだ。
激しい後悔の波に襲われるヒュンケルだったが、目の前の大臣の奇妙な行動は更に続く。
最初はそれ程大きくなかった声も、徐々に声量を増し、痙攣も激しくなる一方の大臣に、ヒュンケルの不安もピ−クに達した。
そして……
「あぁぁん!!」
より一層甲高い声と共に大きく身体を反らせた大臣は、がっくりと床に倒れると、ぴくりとも動かなくなってしまった。
「………」
「…だ、大臣…?」
「………」
「大臣…!?」
「………」
呼びかけてもまったく返事がない。
「あぁ!俺はなんという事をしてしまったんだ!!」
動かない大臣を目の前に、がっくりと項垂れるヒュンケル。
その心は後悔の念でいっぱいだった。
あの時いくら追い込まれていたとはいえ、はやり蹴り上げるべきではなかったのだ。
動かない大臣を目の前に、そんな後悔の気持ちでいっぱいのヒュンケルだったが、突如彼の目に衝撃的な光景が飛びこんできた!
「な、な、な、なぁに〜〜〜!!」
突如大声を上げたヒュンケルの目に写ったもの、それはブ−メランパンツ一丁で気絶している大臣の姿……ではない。
ブ−メランパンツ姿も相当衝撃的な光景だが、ヒュンケルが衝撃を受けたのは大臣の姿ではないのだ。
ブーメランパンツ、それはそれで当ってはいるのだが、正確にはそのンパンツにできた大きな濡れ染み!
そして更に細かく答えるならば、そのパンツから溢れ出た白くどろりとした粘着質な液体が、毛むくじゃらの大臣の太ももをとろとろと流れていたのだ!
「っがはぁ!!!」
『大臣の痛恨の一撃!!』
『ヒュンケルは1000のダメ-ジを受けた!!』
『ヒュンケルは瀕死の状態だ!!』
まさか先程の大臣の奇妙な行動が、実は絶頂を迎えるためのものだったなんて…!
知りもしたくない事実を知ってしまった上に、更に辺りに漂うアレ特有の生臭いというか青臭いというか、そんな匂いがその事実を決定的にする。
そんな光景を目にしたヒュンケルは、もう立っている事すらできないほど身も心もボロボロだった。
ベンガ−ナ王に呼ばれ寝室へ入ってからこれまでに起きた出来事が、まるで走馬灯のようにヒュンケルの脳裏を駆け巡る……。
その悪夢のような走馬灯に、いよいよヒュンケルの意識が途絶えようとした…が、
「これでお一人完了致しましたね。さ、次の方を宜しくお願いします。」
またしても気を失う寸前、ヒュンケルは侍女の声で現実世界へと引き戻されてしまった。
「鞭でも蹴りでも、ヒュンケル様のお好きな方で存分にあの者達を痛めつけてあげてください。」
未だ先程のダメ−ジが抜けきらないヒュンケルだったが、もうここまできてしまったのならば、この侍女の言葉に黙って従うより他なかった。
(……もう……どうにでもなってしまえ……)
虚ろな瞳のまま、弱々しく鞭を握り締めるヒュンケルの心の奥底で、何かがぷつりと音を立てて切れた瞬間だった。
そして…
ピシャッ!!!
室内に響き渡る鞭の音。
「さぁ!!いくらでも来い!今日の俺は疲れを知らん!!」
激しく鞭を打ち付ける音と共に、何かを吹っ切ったヒュンケルが、フロ−ラ様もびっくりな見事な鞭捌きでウジ虫達へ制裁を加えていく姿がそこにはあった。
「あぁ〜ヒュンケル様!!」
「もっと!もっと!わたくしめに制裁を!!」
その気高く美しい姿に歓喜の声を上げるウジ虫達。
だがそんなウジ虫達の事など気にも留めず、ヒュンケルはただただ一心不乱に鞭を振るい、近付く者には容赦なくその足で蹴りをいれる事だけに没頭した。
兎に角一分一秒でも早くこのウジ虫共を蹴散らせたかったのだ。
そして最後のウジ虫、普段はベンガ−ナで財務大臣を勤めているはずの男に、見事な回し蹴りを食らわせ、全てのウジ虫達を天国に導かせた頃には、夜はとっぷりと更け時計は深夜2時を指していた。
ヒュンケルが王の寝室へ入ってから3時間。
たった3時間と思われるかもしれないが、ヒュンケルにとってこの3時間といえば、飲まず食わずで丸1日戦い続けるよりも心身共に過酷なものだった。
「はぁ…はぁ…ベン…いやブタ野郎、おまえで最後だ…!」
肩で大きく息をするヒュンケルの目の前には、無数の鞭痕が痛々しいブタ野郎ことベンガ−ナ王が一人、恍惚とした表情で床に転がっていた。
「はぁ〜…はぁ〜…ヒュ、ヒュンケル様ぁ〜」
痛めつけられたトドのように転がり、起き上がる事ができなくなってしまった王だったが、誰よりもしぶとく、誰よりも多くヒュンケルの制裁をその身に受けながらも、未だ熱い吐息を漏らし快楽と苦痛の狭間で身悶えている姿というのは、ブタを通り越して化け物のようだった。
(…あと一撃…あと一撃で決める!)
そんな王の姿を見たヒュンケルは、王の限界が近いことを察し、鞭の柄を握る手に力を込めた。
全てをこの一撃に込めるべく、鞭を高々と天に翳すと一気にベンガ−ナ王へ向けて振り下ろした!
「あぁぁーイクー!!じょ、女王様ぁぁ!!!」
大絶叫と共に熱い欲望を盛大に放った王は、しばらくびくびくと余韻に浸っているかと思えば、急に糸が切れた人形のようにどさりと倒れ、それっきりぴくりとも動かなくなってしまった。
「お、終わったか…」
ゼーゼーと肩で息をするヒュンケルの額には大粒の汗が浮かんでいた。
精神的にも、肉体的にもこれほど追い詰められた事などなかったが、ようやくこうしてヒュンケルの悪夢のような時間は終わったのだった。
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「おかえりヒュンケル、ご苦労だったわね。」
あの悪夢のような出来事から一夜明け、パプニカへと戻ってきたヒュンケルを、王女であるレオナは笑顔で出迎えてくれた。
「聞いたわよ例の件!すごいじゃないヒュンケル!ってどうしたのその顔!?」
王室へと通されたヒュンケルの顔を見るや否や、レオナは驚きの声をあげた。
なぜならば彼はどこの誰が見ても異様なほど頬は窶れ、目は血走り髪はぼさぼさ、肩はがくりと力を失い、まるで重病人のような姿をしていたのだ。
「い、いえ…お気になさらず…」
「気になさらず…ってあなた、その顔がなにもなかったなんて思えるわけないでしょ!もしかして…ベンガ−ナで何かあったの?」
「え…!?…い、いえいえ、本当になにもありませんので…」
明らかに嘘を言っているのがバレバレのヒュンケルを、レオナはじろりと睨んだ。
「ヒュンケル…そんな見え透いた嘘言ったって…って、ちょっと!ヒュンケル!?」
レオナの追求が始まる前、ヒュンケルは小さく「失礼しました」と言うと、そそくさと逃げるようにして王室から出て行ってしまった。
「ちょっと待ちなさい!!ってもー!一体なにがあったっていうのよ!!」
ヒュンケルが出て行った扉に向かって叫ぶレオナだったが、その声は虚しく室内へと響くだけだった。
その後もすれ違う人々から「どうしたんだその顔は!」だとか、「何かあったのですか!?」という心配の声がヒュンケルへと掛けられたのだが、持前の鉄壁の無表情のまま「なにもありません」と一言答えただけで、ヒュンケルは決して訳を話そうとはしなかった。
(まさか……まさかあんな事があったなど言えるわけがない…)
あの夜の悪夢を、ヒュンケルはこのまま一生、自分の心の奥底へと封じる事を固く誓っていたのだ。
そしてこれより先、ヒュンケルはどんなにお願いし頼もうが、一度としてベンガ−ナへと出向く事はなかったのだった。
END
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